このアルバムに寄せて

2020年に始まったコロナ禍は、私達の社会生活にかつてない様々な変化をもたらしました。中でも、ステイホーム、ソーシャルディスタンスといった、人との交流を制限するということは、かつて経験したことのないものでした。
音楽は、演奏する人、聴く人の両方がいて、成立するものですから、生の演奏会を開けないとなれば、オンラインを通じて発信するより、仕方ありませんでした。そこで、コロナ禍中にオンラインコンサートを企画し、配信を行いました。
現代では、録音された音楽を聴く機会は、非常にたくさんあります。録音というものがなければ、音楽を聴きたければ、誰かが演奏してくれるのを聴きに行かなければならないわけですから、録音でいつでもどこでも好きな音楽を聴ける、というのは、大変素晴らしいことです。それでも、コロナ禍で演奏会が開催できなくなれば、人はやはり生演奏を聴きたいと感じます。それは、生演奏の臨場感を求めるものでもあり、また新しい演奏を求めるものでもあるのだろうと思います。
そこで、生演奏を収録して配信する、というオンラインコンサートを企画したわけですが、やはり、コロナ禍の制限が解ければ、生演奏を聴くことができますし、収録したものを聴くのであれば、従来通りの録音を手に取ることができます。であれば、収録したオンラインコンサートをメディアの形に残そうかとも考えましたが、コロナ禍中には自分と向き合う時間だけはたっぷりともらえましたので、せっかくであれば、今まで出来なかったことに挑戦し、形に残そうと考えました。それが、このアルバムの企画の出発点です。

学生時代から、歌曲を勉強していましたが、オペラ歌手として仕事を始めてから、各地のコンサートで歌ったり、劇場で歌ったりする中で、あまり歌曲を取り挙げる機会は多くありませんでした。それでも、五島記念文化賞オペラ新人賞の成果発表コンサートで、歌曲のみのリサイタル「Liederabend(リーダーアーベント)」をやらせていただきました。歌曲は、オペラよりも多くの繊細な技術を要求されますので、非常にいい勉強になったのですが、まだまだ納得のいくレベルまでは到達できず、もっと抜本的な技術改革と勉強が必要だと感じていました。ただ、年齢的にも、体力も気力もあり、次々とオペラやコンサートをこなしていくことができていましたので、じっくりと自分の技術と勉強に向き合う時間を取る勇気を持つことはできませんでしたが、コロナ禍が強制的にその歩みを止めてくれたおかげで、じっくりと勉強に取り組むことができました。
今回歌曲を選んだ理由は、もちろん技術的に勉強するべき要点がたくさんあるから、ということもありますが、歌曲はもともとピアノと声楽のために書かれた作品ですので、作曲されたオリジナルのままを形に残すことができるからです。
しっかり自分で納得のいくところまで掘り下げ、形に残したい、と勉強を始めたわけですが、結果的には、それから4年経った2024年の今、ようやく一つの形にすることができました。

4年という時間の中では、当然いろいろなことが起こります。特に辛い思いをしたのは、大学時代からずっとお世話になってきた恩師を、コロナで失ってしまったことです。いつも自分の成長を見守って下さっていた恩師への感謝と哀悼も込めて、思い出の曲もいくつか選曲しました。
そして、勉強を続けていく中で、制限なく挑戦することを目標にしていましたので、あえて難しい課題を課して選曲したものもあります。また、学生時代から勉強していた曲で、当時は全くいい演奏が出来なかったものに再び挑戦したり、新しいレパートリーを開拓し、今まで勉強していなかった北欧やロシアの歌曲もいくつか選曲しました。
そうして曲を選んでいるうちに、曲数はどんどん増えていき、結果的に絞り込んで全49曲、2枚組のアルバムとなりました。

これだけの量の歌曲、またドイツ、フランス、イタリア、ロシア、北欧と、様々な国と時代の曲を一度に収録するというのは、ピアニストにとっても大変な挑戦です。これだけのわがままな選曲に、重左恵里さん、蒔田裕也さんのお二人のピアニストが、まさに全身全霊で応えてくださいました。
歌曲は、ピアノと声だけのアンサンブルですので、2人の演奏を間近で聴いているような感じになるよう、録音にはあえてホールではなく、音楽サロンのような場所を選び、マイクの位置を工夫して、部屋の残響ではなく、声とピアノの そのものの響きをしっかり拾っていただくようにお願いしました。そうした要求に、オンラインコンサートの時にも収録をしていただいたMOTION STYLEさんが、十二分に応えてくださいました。
また、ジャケットデザインには、こうした今回の経緯とコンセプトをもとに、HDO.CONCEPTさんが、非常に明確で綺麗なアイディアをくださいました。

オンラインコンサートの時は、県をまたいでの移動を制限されていた時期でした。それでも、地元の多くの方々が企画に賛同し、お力を貸してくださいました。今回も、その流れの先で、地元で多くのご縁をいただき、繋がっていった方々のお力をお貸しいただきました。このご縁と繋がりに感謝し、大切にしてきたい、という思いから、Made in TOKAI(東海地方から世界へ)というコンセプトを銘打ちました。

このアルバムの最後には、ボーナストラックとして 岡田尚之作詩、蒔田裕也作曲の『愛する君へ』を収録しました。
今回のアルバムでは、ドイツ語をはじめとして計8ヶ国語の外国語で歌いましたが、日本語のものが一切含まれていなかったため、何か1曲日本語を入れようと考えました。そこで、作曲家でもある蒔田裕也さんと相談し、このアルバムのために新しい曲を書いていただくことになりました。
当初は、すでに歌曲として作曲されている外国語の詩を日本語に訳し、それに曲を付けていただく構想でしたが、最終的には詩も音楽も全てオリジナルで新曲を発表することになりました。西洋の、多様な国のクラシック音楽で綴った48曲の歌曲の後に、現代の日本人の感性によるこの作品は、少なからず異彩を放つものですが、今回のアルバムのコンセプトとも融和するものであると考えています。

言葉や音楽には、その土地の文化が色濃く反映されています。実際には 一口に、クラシック音楽の声楽曲のジャンルとして「歌曲」とまとめてしまうことは不可能です。それぞれの作品が持つ文化的特色と、そこに生きていた人達の情感に、譜面と歌詞を通して 想いを馳せながら勉強に取り組むことは、この上ない喜びでした。そこでは、自分達が「外国人」であるということは、全く意味を持たないことだと感じます。作品に描かれた世界に触れ、共感し、興味を持つことが全てであり、そこから感じ取ったものを表現するのが演奏であると思います。そして、自分が思う通りの演奏を実現するために必要なものが技術であり、それの習得のために多くの時間を費やすことができたことは、何にも代え難い幸せであると感じています。同時に、永遠に「完成」を見ない音楽の世界に、さらに先へと進む喜びを感じさせられます。

録音は、何度聴いても同じ演奏が聴けますが、写真と同じで、時間が止まっています。常に前を見て歩き続けることを課せられる人間達にとって、過去の瞬間を保存しておきたいという反抗心のようなものは、生きていく糧でもあるかのように感じます。
こうして多くの方々のご尽力の末にこのアルバムを形にすることができたことに心から感謝いたします。そして、この録音を聴いてくださる方々こそが、このアルバムを完成させてくださる最後の方々です。この録音を聴いてくださる全ての方々に、心より感謝と御礼を申し上げます。

曲目解説

各曲の小さな解説を掲載しています。作曲者ごとに、年代を追って作品を並べてありますので、アルバムの演奏順通りではありません。こちらの目次もご活用ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven (1770-1827) は、楽聖とも呼ばれ、誰もが知るクラシック音楽の重要な作曲家の一人です。歌曲の作品が飛び抜けて多いわけではありませんが、ドイツ歌曲(リート)の重要な作品がたくさん残されています。このアルバムでは、たった1曲だけですが、取り挙げました。

Vol.2 1『アデライーデ Adelaide』は、とても長い詩ですが、最後の1節だけが雰囲気を変えています。想いを寄せる女性アデライーデを、自然の情景の中に感じ取っている前半部分、そして自らが死んだ後も、その想いは消えることがない、ということを歌う後半部分、音楽的にもテンポを大きく変えて表現しています。同じ歌詞を、少しニュアンスの違う音楽で繰り返して歌うことで、詩の表現に幅と深さをもたらしています。 歌詞対訳

フランツ・シューベルト Franz Peter Schubert (1797-1828) は、歌曲王の異名を持ち、膨大な数の歌曲を残しました。このアルバムでは、その中から5曲を取り挙げました。

Vol.2 2『ます Die Forelle』は、学校の教科書にも出ていた非常に有名な曲です。作詞者は、作曲者のシューベルトと非常に名前が似ていますが、シュールトという別人です。この歌詞には、作曲されなかった いわゆる4番の部分があり、その4番は非常に教訓的なもので、「気をつけないと、この魚のように若い男の釣り針に引っかかってしまうよ、お嬢さん」という、つまらないオチになっています。シューベルトがこの4番を省いてくれたおかげで、解釈の幅の広い、優れた歌曲になりました。音楽的にも、いきいきと魚が泳ぐ様や、釣り人によって状況が一変する様子を見事に描いています。 歌詞対訳

Vol.2 3『ミューズの子 Der Musensohn』も、有名な曲の1つです。詩は、やはり有名なゲーテによるものです。ミューズは、文芸、学術、音楽などを司る女神です。そのミューズの子は、まさに歌そのもの、といった感じで捉えられるでしょう。あらゆるものに活力を与える存在であることを快活に歌いながらも、自分自身は一体いつ憩えるのだろう、と最後にこぼします。この辺りは、非常に陽気に快活に振る舞っていながらも、ふと深い自身の内面で、心を預けられる存在を求める心理が感じられるように思います。ゲーテの作品には、「若きウェルテルの悩み」のように、自分自身の体験を構想にした作品もあり、この「ミューズの子」もゲーテ自身が少なからず反映されているように感じます。 歌詞対訳

Vol.1 1『小人 Der Zwerg』の歌詞は、一つの物語のようになっています。ドイツ語では、こうした詩は Ballade バラーデ(バラード)と呼ばれています。このようなスタイルの歌曲には、他にとても有名なものとして『魔王 Erlkönig』が挙げられますが、この『小人』は『魔王』よりも5年ほど後に作曲されています。歌は、ナレーター、王妃、小人の3役を演じながらストーリーを語っていきます。内容は、小人と王妃の悲恋を描いたものですが、なぜ「小人」が登場するかは推論が必要です。最も分かりやすい解釈は、王妃との身分の違いを表している、ということでしょう。また、小人には「心の小さいもの」「侵略されたもの」というイメージが付いています。悲恋の果てに王妃を殺害する小人を象徴するもの、とも捉えられるでしょう。 歌詞対訳

Vol.1 2『それらのここにありしことを Dass sie hier gewesen』は、『小人』と同時期の作品です。「東風」には、春というイメージが付いていて、青春の恋心を運ぶもの、と捉えられるでしょう。ドイツ語で sie という単語は、彼女(3人称単数女性)、という意味と、彼ら(3人称複数)という意味の両方が同じ単語であり、前後の文脈から推察するしかありません。この曲の邦題には、「彼女がここにいたことを」というものもありますが、その前の歌詞「美や愛」という言葉を受けていると考え「それらのここにありしことを」としました。ドイツ語では「美 Schönheit」も「愛 Liebe」も共に女性名詞で、代名詞としては、単数でも複数でも sie で受けることができます。さらに、恋人を女性だとするならば「彼女」という意味も同時に掛ける、という解釈もできます。 歌詞対訳

Vol.2 4『セレナーデ Ständchen』は、シューベルト最後の歌曲集「白鳥の歌」第4曲です。この「白鳥の歌」はシューベルトの遺作となりました。ヨーロッパには、死ぬ時に美しい声で鳴く、という伝承があり、シューベルトの死後に、遺作となった14曲の歌曲をまとめて「白鳥の歌」という曲集としました。この白鳥の伝承は、今回収録した グリーグの『白鳥』という曲でも、そのままモチーフとなっています。シューベルトの『セレナード』という曲は、同じタイトルで別にもう1曲ありますが、こちらのほうがより有名で、古くは日本語訳詞による演奏も流行りました。 歌詞対訳

リヒャルト・シュトラウス Richard Georg Strauss (1864-1949) は、シューベルトやベートーヴェンから1世紀後の時代、20世紀前半にかけて活躍した作曲家です。大学の修士論文で、リヒャルト・シュトラウスの初期の歌曲について研究しました。その影響もあり、このアルバムでは最も多い16曲を取り挙げました。

Vol.1 3『献呈 Zueignung』は、シュトラウスの歌曲の作品番号では最も若い作品10(Op. 10)の最初の曲です。20歳前後の若い作曲家の作品ながらも、詩からは、熟練のおしどり夫婦のような、落ち着いた雰囲気さえ感じられます。実際には、遠く離れた恋人への感謝の手紙、という内容ですが、通信手段が手紙に限られていた時代に想いを馳せれば、とても味わい深い詩でしょう。そして、短いながらも抑揚に富んだ音楽は、非常に親しみやすいものです。 歌詞対訳

Vol.1 4『夜 Die Nacht』は、作品10の3曲目です。『献呈』と同じく、ギルムの詩によるものですが、『献呈』とは打って変わって、非常に初々しい感じのする詩です。当然、現代と比べて遥かに夜の闇が濃かった時代、夜は夢を見る時間、として甘美なものと捉える作品もある中、夜の闇に対する恐怖を詠んだ詩です。音楽は、とつとつと夜の闇が迫ってくる様子を描いていますが、恐怖が前面に出ているのではなく、愛しい「君」と身を寄せ合う幸せの中の 一抹の不安、といった表現になっています。その不安は、決して夜の闇に対してではなく、この幸せな瞬間が永遠ではない、ということにあるでしょう。 歌詞対訳

Vol.1 5『セレナーデ Ständchen』は、シューベルトにも同名の曲がありましたが、歌詞は全く別の詩人による作品です。セレナーデとは、恋人に対するいざないの歌です。夜、辺りが寝静まった後に、恋人のいる窓辺でそっと歌いかけます。シュトラウスのセレナーデは、イタリアの朗々と歌い上げるセレナーデとは違い、またシューベルトの少し哀愁を帯びた旋律とも違い、とても軽やかで甘美な、若さの溢れる作品です。最後の1節は、まるで恋人がすでにここにいるかのように歌い上げ、輝かしい高音で締めくくります。この最後の高いラのシャープの音は、慣例で倍 伸ばすことが許されているそうで、今回もそれに甘えました。 歌詞対訳

Vol.2 5『僕の頭に君の黒髪を広げてくれ Breit’ über mein Haupt dein schwarzes Haar』という長いタイトルは、実際には冒頭の歌詞の一行です。というのも、この曲を含む全6曲の作品19 (Op.19) は全て シャック伯爵の「ハスの葉」という詩集の中から作曲されたものだからです。非常に短い曲ですが、音域も高く華やかです。シュトラウス自身が伴奏する演奏の録音も、YouTube で聴くことができます。ピアノ伴奏は、出版されている楽譜には書かれていない音がだいぶ多く入れてあり、作曲者自身の演奏らしい 自由な感覚がとても興味深いです。 https://youtu.be/O-QHTl9lL50 歌詞対訳

Vol.2 6~9 『乙女の花 Mädchenblumen』は、「〜の花はこんな女の子、こういう女の子は〜の花」といった感じで、4つのタイプの女の子を4つの花に例えて歌う、異色の歌曲集です。明らかに男声向けの内容であり、実際にテノールの宮廷歌手ハンス・ギーセンに献呈されたと書かれていますが、なかなかオリジナルのキーでテノールが歌った演奏にはお目にかかりません。それは、非常に広い音域と 表現的に多くの色彩を求められ、テノールよりもソプラノのほうが得意とする場合が多いためでしょう。しかし、実際にテノールがこの曲に取り組むと、当時の歌手の技術力の高さが推し測られ、ここに要求されたことを難なくこなす歌手が、シュトラウスのオペラや歌曲の作品を演奏していたことが容易に窺えます。現代の歌手にとっても、絶対に超えるべきハードルであると思い続け、今回の収録に臨みました。 歌詞対訳

1曲目『ヤグルマギクの花 Kornblumen』は、長いフレーズが特徴です。前半部分は音域が高いのですが、曲の終わりでは深い低音を求められます。おそらく献呈されたハンス・ギーセンは、輝かしい高音域だけではなく 充実した低音域も持ったテノールであったことが推察されます。ダーンの詩は少し語順が難解で、詩の文面(句読点)から見える区切りと、シュトラウスが音楽的に作った区切りに、多少の差異を感じます。訳詩は、シュトラウスの音楽に沿ったものにしました。

2曲目『ケシの花 Mohnblumen』は、打って変わって非常に快活な曲で、冗談めいた雰囲気が特徴です。とてもシュトラウスらしい曲と言えるでしょう。曲の終わりでは、最高音 シが書かれています。全体的に軽快に高音域を歌わなければいけないので、そういったギーセンはそういったアジリティにも優れたテノールであったのでしょう。

3曲目『ツタの花 Epheu』は、また前の曲と対象的に、静かなメロディで綴られます。ツタが絡まるかのような、三連符のピアノの音型が全体を支配しています。この曲では、2オクターヴ近い音の跳躍があり、高いラのフラットから、低いシのフラットへ急降下します。技術的な側面はともかくとして、この『ツタの花』として描かれるの女の子の性格を表すものとして、とても秀逸な効果だと思います。また、終盤のロングトーンでの 音の強弱の変化も、同様の効果があり、同時に技術的にも習得しがいのある美しいものです。

4曲目『スイレンの花 Wasserrose』は、非常に神秘的な雰囲気の曲です。ピアノと歌のリズムが常にずれたり合ったりを繰り返していて、アンサンブルとしても高度なものを要求される上、終始高音域で長いフレーズを歌い継ぐ必要があるため、演奏は容易ではありません。また、この曲の高音の多くは、そこに向かってディミヌエンドが書かれていて、非常に柔らかい音色で歌うことを求められています。しかし、それらがやはり、この『スイレンの花』の女の子を描き出すのに大変効果的であることは間違いありません。

Vol.2 10『ツェツィーリエ Cäcilie』は、シュトラウスが婚約者で ソプラノ歌手であったパウリーネ・デ・アーナ Pauline de Ahna にささげた4つの歌曲 作品27 (Op.27) の第2曲目です。シュトラウス30歳の作品です。タイトルのツェツィーリエは作詩者ハルトの妻の名前ですが、歌詞の中にはツェツィーリエという名前は一度も出てこないのがよかったのでしょう。ちなみに、ツェツィーリエは音楽家の守護聖人「聖セシリア」のドイツ語名です。音楽家の守護聖人の名前であるならば、シュトラウスにとってもパウリーネにとっても悪くないものだったのでしょう。詩は終始「もし〜だったなら、〜だろう」という表現で書かれた求愛の詩で、まさしく婚約者に贈るに相応しいものです。当然、内容的には男声向けの曲ではあるのですが、シュトラウスの頭の中には常に婚約者パウリーネの声があったと言われています。そのため、この曲も、どちらかと言えばソプラノ向きの音運びが感じられます。後に、シュトラウス自身の手によってオーケストラ伴奏版が作られました。オーケストラ版は、ピアノ伴奏版より半音低いキーで書かれています。 歌詞対訳

Vol.1 6『ひそかな誘い Heimliche Aufforferung』は、『ツェツィーリエ』に続く作品27 (Op.27) の第3曲目です。宴席で再開したかつての恋人と再び情熱的に愛し合う、という内容の詩です。音楽的には、宴席の賑わいを表現した前半部分と、官能的な愛へのいざないの後半部分が絶妙にリンクされています。『ツェツィーリエ』と比較すると、少し年齢が上がった感じがして、音域的にもテノール向けの要素が強くなっています。 歌詞対訳

Vol.2 11『愛を抱いて Ich trage meine Minne』は、パウリーネとの結婚ののち、『ツァラトゥストラはかく語りき』や『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』という有名な交響詩を作曲した時期に書かれました。そのためか、この『愛を抱いて』を含む作品32 (Op.32) は、非常に管弦楽的なスケールを感じさせる作品です。この曲は、テノールの声には最もよく調和するものでしょう。 歌詞対訳
前述の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』や『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、シュトラウス自身の指揮による演奏が YouTube で聴くことができます。『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭は、クラシックファンならずとも、どこかで聴いたことのあるものでしょう。
『ツァラトゥストラはかく語りき』 https://www.youtube.com/watch?v=E9PztWHu9FQ
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 https://www.youtube.com/watch?v=3NrtVvDHde8

Vol.1 7『憧れ Sehnsucht』は、前述の作品32の第2曲です。ピアノ伴奏が非常にドラマティックでスケールの大きい作品です。歌もオペラアリアのような華やかさと高音、そして曲の最後には高音のロングトーンでのディミヌエンドを要求されます。なかなかテノールにとっては気軽に歌える曲ではありませんが、やはりシュトラウスの頭には、愛しいパウリーネの美声が常にあったのでしょう。 歌詞対訳

Vol.2 12『愛の讃歌 Liebeshymnus』は、先の作品32の第3曲目にあたります。作品32は全5曲ですが、このアルバムではここまでの3曲を取り挙げました。「愛の讃歌」というとシャンソン歌手 エディト・ピアフ Édith Piaf の同名の曲があまりにも有名で、邦題だけでは紛らわしいのですが、原題が文字通り「愛の讃歌」であるので、あえて変えることはしませんでした。そして曲の内容も、文字通り「愛の讃歌」であり、終始高音域で、愛を高らかに歌い上げます。この曲は、後にシュトラウス自身の手でオーケストラ伴奏に編曲されました。 歌詞対訳

Vol.1 8『好ましい幻影 Freundliche Vision』は、その美しいメロディから 特にドイツ語圏の多くの歌手が好んで演奏してきました。ですが、全編を通して柔らかく、長いフレーズを歌い綴ることは、決して容易でありません。しかし、これこそドイツ歌曲(リート)が求める歌唱技術の真髄であり、基本でもあります。30代半ばに差しかかったシュトラウスの作品ですが、すでに円熟を感じさせる、落ち着いた作品です。 歌詞対訳

Vol.2 13『君の碧い瞳で Mit deinen blauen Augen』は、シュトラウスが自らの母親に捧げた作品です。作曲された頃には、シュトラウスは父親を亡くしていました。その頃はシュトラウスの代表作の一つ オペラ「サロメ」の作曲に没頭しながらも、母親へ手紙を送っていたことが記録に残っています。とても短い曲で、冒頭は非常にシンプルな 素朴なイメージさえ感じさせますが、「碧い思考の海」という言葉の部分では、とても効果的かつ大胆な転調で色を変えていて、まさにシュトラウスの才能の成せる技といったところでしょう。この曲は、私が恩師から紹介していただいた曲で、母親のように見守ってくださった恩師が冗談まじりに「私の目はヘーゼル色だけどね」と言ったのを思い出します。 歌詞対訳

Vol.1 9『悪い天気 Schlechtes Wetter』は、このアルバムで取り挙げたシュトラウスの作品の中では、最も後期の作品です。ハイネの詩には、どこか皮肉が込められているように感じられます。詩中に登場する「母親」と「大きな娘さん」は、何か別の存在を象徴しているとも捉えられるでしょう。しかし、シュトラウスの音楽は、悪天候を表す激しいピアノ伴奏、ランタンを片手におぼつかない足取りで行く母親の描写、そして度々登場する美しい娘のモチーフで構成されており、詩の内容をあえて深堀し過ぎた描写にしていない点が秀逸で、解釈の幅を広げています。 歌詞対訳

アンリ・デュパルク Eugène Marie Henri Fouques Duparc (1848-1933) は、クラシック音楽の作曲家の中でもひときわ変わった存在で、多くの作品を自らが破棄してしまったため、17曲ほどの歌曲を中心に、わずかな作品しか残されていません。しかし、その残されたわずかな作品は、極めて優れたものばかりです。

Vol.1 10『悲しい歌 Chanson triste』は、現存するデュパルクの最初の歌曲です。タイトルは「悲しい歌」ですが、音楽は決して哀愁を帯びたものではなく、ロマンティックで甘美です。悲しみにくれる詩人が、恋人のもとで その慰めを求める歌です。それが故の甘い旋律というわけです。ハープのようなピアノ伴奏には、巧にサブメロディが散りばめられていて、まるで恋人同士が会話をするかのように、歌の旋律と絶妙に絡み合います。 歌詞対訳

Vol.2 14『ロズモンドの館 Le manoir de Rosemonde』は、まさに詩の内容をドラマティックな音楽で表現した作品です。「犬のように噛みつく」様子や、馬が駆けていく様子が、ピアノ伴奏で表現された前半部分、恋人のもとから遥か遠くで死んでいった詩人の様子が語られる後半部分が、対照的に描かれています。詩中で「青きロズモンドの館」という表現がありますが、恋人の女性 ロズモンドの館がなぜ青いのか、また、そもそもなぜ恋人の名はロズモンドで、「家」ではなく「館」なのか、色々と想像することができます。「館」なのは、高貴な身分を表しているのかもしれません。ロズモンドは ロズ Rose (バラ) と モンド monde (世界) という単語がつながって出来ています。バラといえば赤、青いバラは自然界には存在しないと言われていますので、「青きロズモンドの館」というのは この恋人が自分にとっては到底手の届かない高貴な存在である、ということを示唆しているとも捉えられます。また、こちらに全く想いを寄せていない冷たさも感じられるかもしれません。 歌詞対訳

Vol.1 11『前世 La vie antérieure』は、現存するデュパルクの最後の歌曲です。荘厳な宮殿に多くの奴隷たちをはべらせ、快楽に満ちた暮らしをしていたこの詩人の「前世」を語る内容ですが、最後の一行で、それでもこの詩人の心は決して満たされることがなかったことを示唆しています。デュパルクの音楽は非常に壮大で、夕陽が照らす荘厳な宮殿を表す冒頭部分、海の波が空の色と溶け合う様を表す中間部分、快楽に満ちた生活を表す後半部分、そして、心の苦悩を表した後奏部分、どこをとっても明確で、まるでこれらの場面の絵画を見ているかのような感覚にさせられます。そしてそれらを描き出すのに 多くの役割を担うのはピアノ伴奏で、技術的にも大変難しいものです。歌はむしろあまり多くのニュアンスを出さず、淡々と語り継いでいきます。この辺りは、他の作品には見られない 大きな特徴でしょう。 歌詞対訳

ガブリエル・フォーレ Gabriel Urbain Fauré (1845-1924) は、フランス音楽の代表的な作曲家の一人で、歌曲の作品も多く残しました。今回のアルバムではわずか2曲ですが、取り挙げました。

Vol.2 15『夢のあとで Après un rêve』は、比較的初期の作品で、フォーレの歌曲の中でも最も有名なものの一つです。淡々と続く和音で構成されたピアノ伴奏に、長く美しいフレーズの歌が 切れ目なく続いていきます。詩の内容がとても分かりやすく、音楽の構造もシンプルなのですが、和声進行が巧みで、言葉に合わせて絶妙に色を変えていきます。フランス音楽らしい 過度な感情表現を抑えたスタイルが特徴で、テンポの抑揚すら、ほとんど付けることはありません。これこそが、「控え目な moderé」とされるフランス歌曲のスタイルの大本にあるものです。 歌詞対訳

Vol.2 16『ネル Nell』も、初期の作品の一つで、やはりよく演奏されるものです。純粋にロマンティックな詩と、軽快で美しいメロディラインは、若々しさに溢れています。フォーレはこの曲に かなりゆっくり目のテンポを指定していますが、内容的にも もう少し軽快に演奏されることが多いようです。情熱的な愛の歌ですが、『夢のあとで』と同様、フランスのフォーレらしいスタイルで、激情的になりすぎずも、たゆまなく流れるようなピアノ伴奏に乗せて、熱い想いを歌い上げています。 歌詞対訳

エルネスト・ショーソン Amédée-Ernest Chausson (1855-1899) の歌曲は、同じ時代のフランスの作曲家でありながら、フォーレとは少し趣が違い、控え目さよりも、ロマンティックな表情の豊かさが特徴的です。

Vol.1 14 『ハチスズメ Le colibri』は、その中でも最も有名な曲の一つです。タイトルは昆虫の「スズメバチ」ではなく、鳥の「ハチスズメ」です。漢字で書くとどうしても「蜂」の字が印象に残るので、カタカナ表記にしました。一般的にはハチドリと呼ばれるこの小さな鳥は、実際に自分の体重よりも重い たくさんの花の蜜を吸うそうです。そして長いクチバシを持ち、その長さを活かさなければ吸えない花の蜜を 特に主食としているようです。こうした生態からこの詩のインスピレーションは生まれたのでしょう。詩の内容はひたすら甘いのですが、ショーソンはここに4分の5拍子という変拍子で音楽を付けました。5拍子という変則のリズムが、詩の持つエキゾチックな雰囲気とマッチしていて、また歌のメロディをニュアンスに富んだ表情豊かなものにしています。 歌詞対訳

クロード・ドビュッシー Claude Achille Debussy (1862-1918) は、フォーレやショーソンと同時期に活躍した作曲家でありながら、「印象主義」と呼ばれるその作風は独特で、特に後期の作品にはその特色が色濃く現れています。今回もいろいろなドビュッシーの作品を勉強したのですが、最終的にこのアルバムには、比較的ロマン派の色合いを残した、初期の作品から2曲のみを取り挙げることにしました。

Vol.1 12『現れ Apparition』は、マラルメの耽美的な詩の世界を、ドビュッシーらしい色彩感覚で表現しています。歌詞は男声向けですが、歌のメロディラインはどちらかといえば軽やかなソプラノ向けです。最高音は高いドまで達し、高音域での柔らかく繊細なピアニッシモも要求されています。ドビュッシーの音楽にも、フランス的な「控え目」な解釈、演奏が求められるとされていますが、ドビュッシー自身が、自らのピアノ曲を演奏している録音を聴くと、そうした概念からは程遠い 圧倒的な自由さで演奏していることに驚かされます。そこに勇気をもらい、今回のアルバムでも かなりダイナミックな演奏にしてみました。 歌詞対訳
ドビュッシー自身が演奏するピアノ曲は YouTube で聴くことができます。 https://www.youtube.com/watch?v=Yri2JNhyG4k&list=PLGA7IZDGlulJqOwQvLVib64WklEJE4Tav

Vol.1 13『ロマンス Romance』も、とても耽美的な雰囲気の作品です。ややアンニュイな感じのする 優雅な曲で、演奏される機会も多いのですが、後期のドビュッシーの持つ独特の世界観と比べると、ロマン派寄りと言えるでしょう。「印象主義」と呼ばれることを良しとしなかったドビュッシーですが、彼の作品には他の作曲家にはない 色彩感覚に富んだ美術作品的な性格があるように感じられます。詩は、文章的には 非常に長くつながった2行の疑問文で構成された独特のものです。 歌詞対訳

フランチェスコ・パオロ・トスティ Francensco Paolo Tosti (1846-1916) の歌曲は、声楽を勉強している人なら 一度は歌ったことがある曲がたくさんあります。親しみやすく 歌いやすいメロディで、ポピュラーチックな曲さえ少なくありません。今回のアルバムでは、雰囲気の異なる3曲を選びました。

Vol.1 15『さらば Goodbye』は、珍しい英語の歌曲です。トスティは30代半ばに、イタリアからロンドンに移住し 長く暮らしていました。その初期に書かれたのがこの作品で、スコットランドの詩人ホワイト=メルヴィルの英語の詩に作曲されました。イタリア語訳詩版もあり、そちらのほうが良く演奏されますが、今回はオリジナルの英語版を収録しました。ある一つの物語の終わりと決別、そして新たな出発を描く、少しメランコリックなメロディが印象的です。 歌詞対訳

Vol.2 17『最後の歌 L’ultima canzone』は、トスティの最も有名な曲の一つでしょう。かつて愛し合った女性 ニーナは、明日 別の男性と結婚してしまいます。その彼女にもう一度セレナーデを歌いかける内容です。もちろん失恋の歌なのですが、自分自身や誰か別の人に歌いかけるのではなく、想い人に向かって直接歌いかけるのが、イタリアの恋歌の常です。決して未練たらしく歌っているわけでも、まだしつこく口説いているわけでもなく、ただ貴女を愛おしく想っている ということを率直に相手に伝え、相手の女性もその気持ちを迷惑がるわけでもなく、喜んで受け取りながら、自分の幸せへと向かっていくのです。そして男性のほうも、歌いながら自分の気持ちに整理をつけていくのです。この感覚は、ドイツ歌曲の失恋の歌とはかなり違いがあります。ドイツ歌曲では、失恋の痛手を自身の内面や 周囲の自然に向け、意中の女性に面と向かって気持ちを表現する歌は多くありません。これはイタリアとドイツの大きな性格の違いです。ちなみにこの曲の詩では、相手の女性に対する二人称は、親称 tu と敬称 voi が混在しています。そんなところにも、この詩人の気持ちを垣間見ることができるでしょう。 歌詞対訳

Vol.2 18『暁は闇を光から分かつ L’alba separa dalla luce l’ombra』は、後の多くの作家にも影響を与えたイタリアの作家ダンヌンツィオの「アマランタの4つの歌」の第2曲です。詩集の中の1遍であるため、冒頭の一行がタイトルになっています。トスティの歌曲の中では、シリアスなテイストの作品です。この曲のメロディの運び方は完全にオペラアリア的で、より声の力を求められるものです。実際、イタリアオペラを得意とするテノール歌手が、この曲をリサイタルのアンコールで朗々と聴かせることも少なくありません。詩に込められた悲痛な想いを、高らかな感情の迸りとして歌い上げるのは、イタリア音楽の真髄です。 歌詞対訳

オットリーノ・レスピーギ Ottorino Respighi (1879-1936) は、数少ないイタリア歌曲の作曲者の一人です。イタリアではオペラの文化は大いに発展しましたが、芸術歌曲の分野ではドイツやフランスのような発展は見られませんでした。その中で、レスピーギは歌曲の分野で優れた作品を残しました。比較的メゾ・ソプラノや低声向きの曲が多いのも特徴です。

Vol.1 16『昔の歌に寄せて Sopra un’aria antica』のピアノ伴奏は、アントニオ・チェスティ作曲の「私の愛しい人の周りで Intorno all’idol mio」という曲が ほぼそのまま使われています。チェスティの原曲は15世紀のものですので、レスピーギの時代にもすでに「昔の歌」だったわけです。このチェスティの曲のピアノ伴奏に乗せて、詩人ダンヌンツィオの言葉が語るように歌われていきます。バロック音楽であるチェスティの曲と、レスピーギの近代的な和声が合わさったとてもユニークな作品です。詩の内容は暗く重いものですが、ピアノの間奏が終わった後の 最後の一文に付けられた音楽は、チェスティのメロディは聞こえるものの、ピアノ伴奏のバスの音は 終始ミのフラットを弾き続け、灼熱の夏の日差しに包まれた 生気に溢れる貪欲な世界を見事に表現しています。 歌詞対訳

ピエール・アドルフォ・ティリンデッリ Pier Adolfo Tirindelli (1858-1937) は、プッチーニの学友であった言われていますが、現在よく演奏されるのは数曲の歌曲のみです。

Vol.1 17『おお、春よ! O primavera』は、テノール歌手のエンリコ・カルーソ Enrico Caruso に献呈された曲で、今日でもよく演奏される曲です。春を待ち焦がれる歌は、特に北国ではよく見られます。それだけ冬は厳しく、春の暖かさが身に染みるのでしょう。女流詩人ボネッティのこの詩は、どちらかといえばイタリア的というよりかは、北国的な 自然の描写が印象に残る詩です。 歌詞対訳

ジャコモ・プッチーニ Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini (1858-1924) は、イタリアオペラの代表作曲家ですが、ピアノと声楽のための作品もいくつか残しています。ただ、そのメロディを自身のオペラの中で転用することもしばしばあり、今回収録した2曲も、オペラの中で使われています。

Vol.2 19『太陽と愛 Sole e amore』は、ジェノヴァの定期刊行音楽誌パガニーニに宛てたもので、詩はプッチーニ自身によるもの、詩の最後には署名のように「パガニーニへ、ジー(ジャコモ)・プッチーニより」とあります。この曲のメロディはそのまま、オペラ「ラ・ボエーム」に転用され、オペラファンにとっては聴き馴染みのものでしょう。曲の最後は、サラサラっとサインをするかのように 軽く歌い上げるのが、プッチーニを最も得意とした私の恩師のスタイルでした。 歌詞対訳

Vol.2 20『死とは? Morire?』も、そっくりそのままオペラ「つばめ」で使われています。オペラの中では 初めてパリに来た若者が「パリは欲望の街」と歌うアリアになっていますが、こちらの歌曲では、死とは、生とは何か、を問う少し哲学的な内容です。プッチーニのオペラ台本を数多く手がけたアダーミの詩です。詩の最後の一節は、すでに亡くなっている人たちに向けて言っている言葉です。死後の世界に対するイメージには、宗教観が色濃く出るものですが、「生命の花が咲く広大な向こう岸」という表現は、割と日本人にも分かりやすい表現ではないでしょうか。  歌詞対訳

アルトゥーロ・ブッツィ=ペッチャ Arturo Buzzi-Peccia (1854-1946) は、プッチーニと同時代に活躍した人で、イタリアではいくつかの作品が今でも知られています。

Vol.2 21『戻れ、愛よ Torna amore』は、『おお、春よ!』と同じくカルーソに献呈された曲です。いかにもテノール向けの曲で、後半部分はカンツォーネのようなテイストを持っています。語りかけるような レチタティーヴォの前半部分との対比が効果的です。後半部分はとても親しみやすく美しいメロディですので、今回はカンツォーネのように、譜面には書かれていない繰り返しを入れました。 歌詞対訳

ステーファノ・ドナウディ Stefano Donaudy (1879-1925) は、やはり声楽を勉強した人であれば必ず聞いたことがある作曲家で、大学時代に勉強した人も多いでしょう。

Vol.1 18『とても美しい絵姿』は、「古典様式による36のアリア」としてまとめられた曲集の第2集第2曲にあります。「古典様式」というタイトルの通り、ドナウディの生きた時代よりも古い時代のスタイルで作曲されていて、この曲は「アリア」という分類がなされています。弟アルベルトの詩に、兄ステーファノが作曲するというコンビで、かつての恋人への想いを歌います。この曲の前奏や間奏で聴かれるメロディは、ピアノ伴奏のみで 歌のパートには出てきません。それを惜しんでか、後奏部分で歌も途中参戦します。当然譜面には書かれていないのですが、イタリアらしい寛容な習慣です。 歌詞対訳

エドヴァルド・グリーグ Edvard Hagerup Grieg (1843-1907) は、ノルウェーの作曲家兼ピアニストです。ノルウェーの民族音楽を活かした国民学派と言われています。

Vol.1 19『君を愛す Jeg elsker Dig』は、デンマークの童話作家として知られるアンデルセンの詩に作曲された作品で、グリーグの歌曲の中でも特に有名です。非常に短い曲であるため、よく2回繰り返して演奏されます。また、ドイツ語訳詩で演奏されることも多く、その他の言語でも訳詩が存在します。極めて純粋な愛の歌として、とても美しいものです。 歌詞対訳

Vol.1 20『白鳥 En svane』は、白鳥は死ぬ時に美しい声で鳴く、という伝承を詠んだものです。ノルウェーの著名な作家イプセンの作品には、この「白鳥」以外にも、グリーグの代表作とも言える「ペール・ギュント」があります。最後までその感情の迸りを隠し、死の瞬間に最も美しく鳴く、という白鳥は、北欧の文学では魂の象徴として描かれています。そしてグリーグの描き出す音楽からは、北欧の情緒が溢れ出ています。 歌詞対訳

Vol.1 21『夢 Ein Traum』は、グリーグが ボーデンシュテットのドイツ語の詩に作曲したものです。夢で見た情景が、正夢となって現実に現れた、という内容の詩ですが、詩のクライマックスでは、「春の緑あるれる森」にスポットがあたり、「夢で見たあの美女と結ばれた」という点にスポットが当たっていないのが興味深いところです。愛する女性よりも、その時に自分が囲まれていた自然のほうに主眼が向いているわけです。この辺りに、この詩人の性格が非常に良く現れています。人にスポットが当たることが多いイタリアと比べれば、大きな文化の違いでしょう。しかし、グリーグの音楽は非常に情熱的で、まさに夢見るような前半部分とは打って変わって、曲のクライマックスはとてもドラマティックです。 歌詞対訳

フーゴ・アルヴェーン Hugo Emil Alfvén (1872-1960) は、スウェーデンの代表的な作曲家の一人です。作品は管弦楽曲が多いのですが、とりわけ有名な歌曲を1曲取り挙げました。

Vol.2 22『森は眠る Skogen sover』は、白夜の6月の夜の情景を描いた作品です。夜遅くなってもまだほのかに明るい空に 陽気に遊ぶ女の子も遊び疲れて眠ってしまいます。それを詩人がそっと見守っています。北欧の白夜の神秘的な情景と、心の暖かさが感じられる音楽です。 歌詞対訳

ジャン・シベリウス Jean Sibelius (1865-1957) は、フィンランドの代表的な作曲家です。フィンランド人の愛国心を湧き起こした交響詩「フィンランディア」が特に有名です。歌曲も少なからず残されており、骨太な作品が多いのが特徴です。

Vol2. 23『黒いバラ Svarta rosor』は、心を蝕む悲しみを黒いバラに喩えた詩です。流れるようなピアノ伴奏の部分と、不気味に黒いバラが心を蝕んでいく様を表現した部分の対比が効果的です。曲のクライマックスでは、かなりドラマティックに「悲しみには闇夜のように黒いバラがあるから」と歌い上げます。それは、自らが悲しみに蝕まれ、必死に抵抗しているようにも感じられます。 歌詞対訳

Vol. 24『それは夢だったのか Var det en dröm』は、終わりを告げた恋を歌った作品です。感傷的な詩に対して、シベリウスは劇的な音楽で応えています。ピアノ伴奏は非常に技巧的で難しく、歌のメロディも、3拍子と2拍子が混在し、かなり複雑に作られているように見えますが、演奏を聴けば流れるような美しい作品になっています。シベリウスをはじめ、北欧の作品の特徴として、低音域の充実が挙げられるでしょう。この曲も、輝かしい高音を求められてはいますが、同時に曲の最後には低いシの音を要求されます。ピアノも限界近くまで低いシの音を弾いていますから、この曲は長二度以上キーを下げると、ピアノの最低音を突破してしまいます。これほど深い低音を求めるのは、他の国の作品ではあまり例がないでしょう。 歌詞対訳

セルゲイ・ラフマニノフ Сергей Васильевич Рахманинов (1873-1943) は、ピアニストとしても大変著名だったロシアの作曲家です。歌曲も多く残されており、充実したピアノ伴奏が特徴的です。声楽的にも華やかな曲が多く、低声向けの曲も少なくありません。今回は、特によく演奏される3曲を取り挙げました。

Vol.1 22『歌うなかれ、美しきひとよ Не пой, красавица, при мне』は、20歳のラフマニノフの作品です。モスクワ生まれの詩人プーシキンが生きた19世紀前半のジョージアは、ロシアの支配下に置かれていました。ピアノの前奏で「悲しいジョージアの歌」が演奏され、それを止める詩人の歌声で曲が始まります。今回の収録では、ピアノ前奏部分の「悲しいジョージアの歌」のメロディは比較的早いテンポで、中間部の meno mosso (少し遅く というテンポ指示) は重く作りました。ラフマニノフの音楽からは、悲しみのベクトルが自身の内側に向けられる重さを感じます。イタリア音楽のように、外に向かって苦しみを訴えかけるというよりは、自分の中にその苦しみが重くのしかかってくるような感じです。当然、作曲家の性格も大いに影響しますが、ロシアの風土と文化の一片が垣間見えるように感じます。 歌詞対訳

Vol.2 25『春の水 Весенние воды』は、ティリンデッリの『おお、春よ!』と同じく、春の訪れを讃える歌です。詩人チュッチェフは、自然を生ある者として 生き生きと描くのが特徴で、ここでは水が命を得たかのように 春の訪れを告げます。その流れる水を描写するピアノ伴奏は大変技巧的で美しくも難しく、そして華やかです。ラフマニノフの音楽からは、春の訪れに対する圧倒的な喜びを感じることができます。それほどに春というのは 当時のロシアの人々にとって喜びの溢れる季節だったのでしょう。 歌詞対訳

Vol.1 23『ここは素晴らしい Здесь хорошо』は、短くも大変美しい曲で、男声、女声を問わず、多くの人に愛され演奏されている曲です。この女流詩人が見た 息を呑むような美しく神々しい光景が目に浮かんでくるような音楽です。歌の最後は、とても柔らかいピアニッシモでの高音が書かれています。こういった表現は、オペラでは あまりありません。客席との親密な距離感が生み出す 歌曲ならではの表現です。 歌詞対訳

ボーナストラック
Vol.2 26『愛する君へ』は、このアルバムのために書き下ろされた新曲です。詩は、私が普段感じていることをそのまま言葉にしただけですので 至ってシンプルですが、性別や年齢も関係なく、多くの方々に共感していただけるように、特定の人やものに限定するような言葉を控えるようにしました。「愛する君」の対象は、もちろん恋人だけではなく、家族、友人、先輩、後輩、先生、生徒、上司、部下、さらにはペットや、大切なものであってもいいのです。蒔田さんの音楽は、日本語の持つ抑揚を上手にメロディの中に取り入れています。西洋音楽は強拍、弱拍のリズムを持つもので、西洋の言語もまた、その多くが強拍、弱拍のリズムを持つ言語です。一方、日本語はそういったリズムではなく、抑揚の言語です。ここに西洋音楽と日本語の融和の難しさがあります。本当に日本語にピッタリくる音楽となると、やはり長唄などの日本古来のものになってくるでしょう。しかし現代の日本のポピュラー音楽では、西洋音楽の流れから 独自に発展させたスタイルで、言葉にリズムをつけ、音楽のビートを上手にずらしたり合わせたりして、そこをうまく解決しています。クラシック寄りのこの曲では、逆にビートではなく、メロディの抑揚を言葉に寄り添わせることで、解決しています。曲は最後、ラのシャープで終わっています。ラのシャープはドイツ語でアイスです。蒔田さんのほんの遊び心だそうです。 歌詞